英語学習の材料置き場

上級英単語Botのエクステンションです。主にリスニングなど、英語学習に役立ちそうなものを紹介していきます。

【リスニング】18世紀のドレスの着方【労働階級編】

以前、中世ヨーロッパの上流階級のドレスの着付け方を紹介しましたが(リンクはページ下にあります)労働階級の女性ももちろん洋服を着ます。メイドがいないので、自分で着つけなければいけないのと、動きやすさを求めているところが上流階級との主な違いです。

今回はそんな労働階級の洋服の着方を説明している動画を紹介します。前回同様、イギリス英語の動画です。

動画

www.youtube.com

内容

なんだか不自然な日本語になってしまいました…気が向いたら直します。

 

肌の上に直接着る肌着は「シフト」と呼ばれています。リネン製で洗濯可能でした。パジャマにもなります。衛生は大事だったので、女性は最低でも二枚のシフトを持っていて、できるだけ替えるようにしていました。毎日洗濯されていたことが多かったと推定されています。

女性は膝まである「編み靴下」をはきます。「クロックス」と呼ばれるデザインが入っていることもありました。このデザインは足首の位置にあるつなぎ目を隠す役割もあります。ずれ落ちるのを防ぐために、ひざの下にガーターを結びます。

靴にヒールはなく、実用的なものでした。「ステイ」を着る前に靴を履くのは大切でした。ステイを付けてからだと靴を履くのが難しくなってしまうからです。

18世紀の「ステイ」の目的は、ウエストを締めるためではなく胸を支えるためでした。また、当時流行っていた洋服のラインを作る役目もありました。働く女性の間でも服のラインは重要だったのです。労働階級用のステイは平らで、(上流階級用のものと比べて)きつくなく、前と後ろの両側から紐を通すことができました。これは、着付けを簡単にするためと、動きやすくするためです。このステイは「一対の身体 」とも呼ばれていました。

前にある「スタマッカー」は、ステイの隙間を埋めるだけでなく、機能的な役割もありました。熱を外に逃がしたり、重労働に耐えるためには洋服の層を減らす必要があったので、上流階級のステイのように何層にもなっていません。

「ポケット」はバッグ型で、一つか二つ、紐やリボンを使ってウエストに固定しました。「ペチコート」の横に空いている部分があるので、そこから手を入れられるようになっていました。

「ペチコート」の作りは簡単で、二つの長方形の布にギャザーやひだを付けて、前方と後部、二つの「ウェイストバンド」に長い紐と一緒に縫い付けました。ポケットへの入り口を作るため、横に隙間を残すように着ます。このタイプのペチコートは調節ができるので、妊娠したり出産したりしても同じものを着ることができました。

「外ペチコート」は硬い生地でできていました。明るい色の羊毛や、模様入りのリネンやコットンで作られていたとされています。冬にはキルトのペチコートがよく着られました。

髪の毛は後ろおだんごにすることが多かったです。

「ネッカーチーフ」は、首下を隠すために着られました。寒さを防いだり、日光から肌を守る役割があります。固定するために、先の部分はステイの下に挟み込むことができました。

ステイとペチコートの上には、「ジャケット」や「ショートガウン」が着られました。普通のマチ針を使って、硬いステイの上で固定します。これも調節ができるので体の大きさが変わっても着ることができました。袖は機能性のために短く、ひじしたくらいの長さでした。

仕事着の中でもエプロンは特に大事です。エプロンは服を汚れから守り、手を拭く場所となり、熱い鍋を運ぶときに手を守ります。野菜や丸太のような扱いにくいものを運ぶときにも役立ちました。

公共の場では普通、白いリネンの帽子が被られました。ある程度お金のある女性なら素敵な色のリボンを使って留めます。そうでなければ普通の紐を使います。頭のてっぺんで蝶々結びにして留めました。

ペチコートは足首あたりまでの長さだったので、手を使うことなく階段を上り下りすることができました。冬には、短い袖から出ている腕を保護するために指ぬきの手袋を付けます。

フード付きの外套やフード付き乗馬用コートは、18世紀中ごろから19世紀初期まで、女性の屋外用の普段着とされていました。スカーレット色の羊毛の外套はイギリスの田舎の女性にとても人気になり、イギリスの伝統衣装とまでなりました。発色がとても明るかったので、Cardinal(緋色の)とも呼ばれました。この外套は、おとぎ話のLittle Riding Hoodにも登場し不朽の存在となりました。

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reinaeitan.hatenablog.com

欧米の高校生が授業で読む本

たとえ読書が嫌いな日本人でも、「山月記」「オツベルと象」などの、どの国語の教科書にも載っている話は読んだことがあるはずです。高校になると、「こころ」「羅生門」などの作品も読むと思います。

このような有名な作品は、その知名度故にいろいろな場面で引用され、時にはジョークのネタとして使われたりもします。

 

日本と同じように、欧米の国々にもこのような「みんな知ってる作品」は沢山あります。今回はそのリストを国別に紹介したいと思います。似たり寄ったりですが。こういった作品を読んでおくと、例えば映画やドラマなどの会話で作品名が登場したときに理解することができますし、もしその国に留学するのであれば訳に立ちます。

アメリカ

アメリカでもイギリス文学は多く読まれています。シェークスピアジョーオーウェル、チャールズディケンズなどが王道ですね。やけにディストピアが多いです。

アメリカ文学奴隷制度や黒人差別について考えさせられるものが多いイメージです。

www.goodreads.com

中でも有名なものは、YouTubeのCrashcourse シリーズが解説してくれたりしているので、読んだ後にそれを見てみるのも面白いです。

www.youtube.com

これはジョーオーウェル1984の解説動画です

 

イギリス

こちらのサイトは、高校を卒業する前に読んでおきたい本100冊が載っています。

ハリーポッターがリストに入っているのがイギリスらしいですね。

イギリスの高校の本もアメリカのと似てますね。同じ英語圏なだけあります。「イギリスなのにシェークスピアが載っていない!?」と思うかもしれませんが、それはこのサイトが小説のみを紹介しているからです。シェークスピアは劇か詩に分類されています。

www.tes.com

カナダ

カナダで読まれる本も似ていますね。大体はアメリカとイギリスの本です。

イギリスのリストにも載っていましたが、去年ノーベル賞も受賞された石黒和夫さんの本も載っています。www.goodreads.com

 

どの国のリストでも、ディストピアな作品が多いですね。思えば日本の教科書に載っている本もハッピーエンドなものは走れメロスくらいしか思い出せません。

これは私の教授が言っていたことなのですが、悲劇を読むと、人生や決断について考えさせられます。一方、コメディや他のジャンルは、読んでて楽しいのでついつい作品の奥に隠されているメッセージに気を留めずに読んでしまいがちだ、と。悲劇の方が授業で扱いやすいのかもしれません。

【リスニング】うまみって何だろう?

うまみ、という言葉は今や英語圏でもそのまま使われています。しかし、うまみが何なのかを理解している人は少ないです。うまみは美味しさである、と言えばそれまでですが、では、美味しさとは何でしょう?

今日はそんなうまみについて説明している3分ほどの短い動画を紹介します。この動画はある調味料会社が製作したものなので、途中まではうまみの解説ですが最後の30秒くらいは遠回しな商品の宣伝になっています。遠回しと言ってもかなり露骨ですが。

難易度

毎度のことですが、解説動画の目的は視聴者に何かを理解してもらうことなので、分かりやすく話してくれています。発音はアメリカアクセントです。ちょっとゆっくり話しています。

動画

youtu.be

内容

ざっくり内容を書きます。

もし、塩や甘いものを料理に入れてはいけないと言われたらどうなると思う?「ちょっと待て、それじゃあちゃんろ味のする料理を作れないじゃないか!」と思うだろうね。

なぜそう思うかって?それは僕たちは皆、4つの味があるということを知っているからだ。甘味、酸味、しょっぱさ、苦味。

そして今では、「うまみ」という5つ目の味覚があるということがわかっている。僕たちの舌は、5つの異なる味を知覚することができるんだ。

これは重要だぞ。なぜかというと、それぞれの味にはその理由があるからだ。

例えば、僕が甘いものを食べた時、舌が体に伝えているのは、「これからカロリーとエネルギーを消費する」ってことだ。

苦いものを食べた時、脳には「ちょっと、それは毒かもしれないよ」というメッセージが伝達される。まあ社会的背景もあって今は苦いものも好まれてるけどね。

ならうまみは何だろう?

うまみって言うのはグルタミン酸っていうアミノ酸で、プロテインを構成する。つまり、うまみって言うのは体にとってはプロテインの味なんだ。だからうまみを食べた時、脳にプロテインを消費するよ、っていう信号が送られるのに加えて、「これいい!」っていう感覚も伝達される。

実をいうと、僕はある一部の人達みたいにうまみなんてものは存在しないと思ってたんだ。だからMSGも使おうとは思わなかったね。

だからある時授業でも、このクラスではMSGは使わないよ、ちょっと怪しいしね、って話したんだ。そしたら授業後、あるフィリピン人の生徒がやってきて、「言ってることがわかりません。私のお母さんはいつもMSGを使ってたし、私はそれを食べて育ちました。シェフ、MSGをスクランブルエッグに混ぜて食べたことはありますか?」って言ってきたんだ。だからスクランブルエッグを作って、MSGを加えてみた。食べてみたらびっくり、味にブーストがかかってたね。その日から、「このうまみってもんはすごいぞ!」って思うようになったんだ。

 

内容を書いてみると、あまりうまみそのものについては説明してくれていませんね。もしちゃんとうまみについて説明しているものを見つけたら今度それも投稿しようと思います。

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洋書をリスニングしたい人へ

洋書を読むことは、読解力を高めボキャブラリーを増やすために大事なことです。でも、座って本を読む暇がない人や、読むより聞く方が好き(Audio learner)だという人もいると思います。

 

そんな人におススメなのが、無料でオーディオブックを聞けるLiver boxというサービスです。ボランティアの人たちが本を読み上げてくれていて、それを無料で提供してくれています。いくつかのYoutubeチャンネルがその動画版をアップロードしています。

www.youtube.com

www.youtube.com

たまに声が遠かったり音質が悪かったりするのですが、無料で聞ける分には十分なクオリティーです。アメリカアクセントのものが多いです。シェークスピアなどを聞くと、アメリカ人が頑張ってイギリスっぽい発音で読んでたりしてちょっと面白いです。(実はシェークスピアが劇を書いた当時のイギリスの発音は現在のアメリカ英語に近いと言われていますが)

Youtubeなので、自分で好きに速度を倍速にしたり、聞き取れなかった個所を繰り返し聞くこともできます。なかなか使い勝手が良いです。

 

余談ですが、"Liber box recording" で動画を検索すると、一番上にヒットするのはなんと日本昔話です。秘密の花園やシャーロックホームズよりも視聴回数が多いんですね。

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【独り言】文法教育ではネイティブと通じることができないのか

お久しぶりです。大学が忙しくてなかなかブログの方を更新することができませんでした。

 

さて、今日言語学の授業で中国人の教授がホワイトボードにこんな文を書きました。

I always relied on the kindness of strangers.

これを見た英語のネイティブスピーカーたちは、「この文にTheがあるのはおかしい。なんか気持ち悪い」と教授を責めました。

一方教授は、「ニュアンスがちょっと変でも、この文は文法的には合ってる」と反論。

 

なぜでしょう?

Kindness of strangers、訳すと「他人のやさしさ」は、不特定のものであり、誰の、どのやさしさなのかわかりません。なので、限定の役割のあるTheを付けてしまうと、あいまいなもののはずなのに限定されていて意味が通じなくなるのです。

しかし、ネイティブスピーカーたちは、Theの使い方は知っていてもTheの文法的役割は良くわからないので、なぜこの文がおかしいのかを説明することができません。

中国人の教授からすれば、この文は文法的には合っていて、なぜおかしいと言われるのかはわかりません。中国語は日本語と同じように定冠詞が存在しないからです。また、どの単語は限定しても良くてどの単語は限定してはいけないかはとても曖昧で、文脈によっても変わるので見定めるのが難しいです。

しかもこのKindnessという単語は、「優しさ、優しくする性質」を示すときは譜可算名詞で、「優しい行為」を指すときは可算名詞になります。文脈によってTheが付いたり付かなかったりするので文法的に言えばとてもややこしい単語です。

 

ネイティブたちも教授も、相手が何を考えているのか理解出来ていなかったし、それを言葉で説明するのはさらに難しいので、この問題はスルーされました。気まずい雰囲気でした。

 

 

教授の母国語である中国語や、日本語などには冠詞というものが存在しません。なので、どの冠詞が自然でどの冠詞が不自然か見極めるのは時に困難です。文法的に合っていても不自然な文はいくらでもあります。私が一時期日本産の英語の教科書を使って教えていた時も、うまく説明はできないけど不自然な文は沢山ありました。

私は文法教育が悪だとは思いません。文法も英語の一部だから大切です。しかし、文法を通して英文を理解する癖をつけてしまうと、ネイティブと同じように英文の意味を汲み取ることができなくなってしまうのは確かだと思います。

そういえば近年、文法教育VS理解する学び、みたいな論文が韓国のTESOL協会で提出されました。書いたのはKrashenです。今度時間がある時に要約してブログに上げようと思います。

英文法は重要なのか【リスニング】

日本で育った人なら、授業で英文法を学んだことがあるはずです。しかし実際にネイティブスピーカーの英語を聞いてみると、くだけた文法が使われていたりします。

日本人が日本語を使っているときも、文法を間違えたりしますが、特に問題なく会話できますよね。

では、文法はそれほど重要じゃないのでしょうか?

そんな疑問に答える動画がTedEdから出ているので、今回はそれを紹介します。

動画

www.youtube.com

内容

友達にとても良い話を話していて、一番盛り上がるシーンに入った瞬間、

「Me and the alienじゃなくてThe alien and Iだよ」

と、話を遮られたら, たいていの人はイラっとすると思います。

話を中断したのはさておき、その文法の指摘に意味はあるでしょうか?もし、文法的に間違っていても意味がちゃんと伝わっているなら、文法的におかしくても問題ないのではないでしょうか?

文法とは

言語学的に文法は、単語同士がどのようにして組み合わされて文節や分を作るかのパターンで、書き言葉にも話し言葉にも適応されます。言語によってこのパターンは違います。

英語では、たいてい主語が文頭に来て、動詞と目的語が続きます。日本語や、その他たくさんの言語では、この順序は主語、目的語、動詞です。

どの言語にも共通する性質を見つけようとした学者たちもいました。しかし、「名詞と動詞がある」などの基本的な性質の他、普遍的な言語の共通点はありませんでした。

ただ言えるのは、どの言語も特有のルールがあり、そのルールに従って文章が組み立てられているということです。これらの点を研究しているうちに、ある論争が生じました。Prescriptism とDescriptivismの間の論争です。

PrescriptivismとDescriptivismとは何か

端的に言うと、Prescriptivismは、言語は決められたルールに則るべきだという考えで、Descriptivismは、言語の性質として逸脱や適応が不可欠という考えです。

歴史

古代では、言語といえば話し言葉が主でした。しかし、人々の交流が増えると、書き言葉の需要も増えました。適切にコミュニケーションを取るために文法が制定され、遠くにいる人とも通じるようになりました。

多くの言語において、そのルールに則ったものだけが正しい文章だとされました。そのルールでさえ訛りだったりしますが、その時一番勢力があった地域の言葉が正しいとされました。言語純正主義者は、このルール、つまり文法を普及させようとしました。もとは文法は書き言葉のものでしたが、やがで話し言葉でも使われるようになったのです。

文法的に間違っている話し言葉は腐敗とされ、社会的な地位が低い印とされました。間違った文法で話していた人たちも、この文法を習得しなければなりませんでした。

話し言葉と書き言葉

しかし最近になって、話し言葉は書き言葉とは違うことが明らかになりました。人は、記憶にないほど幼い段階で話し言葉を習得します。それは文法を覚えることによってではなく、聞いたものを繰り返すことによってです。また、話すときには表情やイントネーションも使われるので、話し言葉の構造はとても柔軟で、話し手や聞き手は比較的自由に話すことができます。例えば、瞬時に理解するのが難しい複雑な構造を避けたり、発音しやすい言葉を選んだりできます。また、早く話すために省略したりもします。

このような話し言葉のパターンを、間違ってるか間違ってないかを気にせずに分析するのがDescriptivismです。言語がどう使われるべきか、ではなく、実際にどのように使われているのかに焦点を当て、言語の進化を研究するのです。

PrescriptivismとDescriptivismの間の論争は今も続いていますが、この二つは全くの真逆ではありません。

Prescriptivismは、言語の基本的なパターンを人に教えるときに便利です。文法のルールを知れば、オフィシャルな場面や、ネイティブではない人同士が会話するときに役に立ちます。

Descriptivismを使えばは、私たちの思考がどう働くのかを知ることができ、また世界を理解することができます。

 

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日本語でも、「ら抜け言葉」などが議論されたりしていますね。でも同時に、「えもい」「わんちゃん」など、新しい言葉も次々と生み出されています。たいていは数年で消えてしまいますが…

私個人的には、こういった砕け言葉は良いと思います。言葉を見れば、その年代や時代背景を察することができるし、世代によって違う言葉を使っているというのは面白い文化だと思います。それに、正しい文法にこだわったり過ぎたら新しい言葉や表現が生まれなくなってしまいます。

ただ、言語を学習する身としては、くだけた文法や、生まれては消える流行り言葉は厄介ですよね。しかも英語に関して言えば、地域によって使われている文法や単語が全然違ったりします。

英語ネイティブでさえ、違う地域の英語を理解できなかったりするのですから、英語を学習している人が100%英語を理解できなくても、それは仕方ないのかもしれません。